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最終更新日:2017年11月19日

古銭から見られる歴史と背景

西暦708年(和銅元年)の飛鳥時代に日本で和同開珎が造られました。

これは唐で西暦621年に発行された銅銭が手本とされています。形は円形で、直径は約2.4cmで、中央に空けられた方孔は1辺が約0.6㎝です。

同年、和同銀銭と和同銅銭が発行されていますが後に銀銭は使用されなくなりました。通貨として和同開珎が広まる前に、歴史書である日本書紀に記載された西暦687年(天武12年)より用いるとされた銅銭が富本銭である可能性があるとされ、富本銭が発見された地層が7世紀後半であることが確認されました。

更に、関西地方で多く出土した無文銀銭は西暦667~672年の近江京時代の銀貨で、日本最古の貨幣とされています。西暦708年(和銅元年)~963年(応和3年)、和同開珎を含めた12種類の銅銭である皇朝十二銭が造られました。

種類が新しいものになると、古い銅銭10個分の交換条件に相当しました。不当な条件の上に品質が下がるなど流通はうまくいかず、西暦958年(天徳2年)の平安中期に、乾元大宝が造られました。

和同開珎から乾元大宝に至るまで、西暦760年(天平宝字4年)万年通宝、西暦765年(天平神護元年)神功開宝、西暦796年(延暦15年)隆平永宝、 西暦818年(弘仁9年)富寿神宝、西暦835年(承和2年)承和昌宝、 西暦848年(嘉祥元年)長年大宝、西暦859年(貞観元年)饒益神宝、西暦870年(貞観12年)貞観永宝、西暦890年(寛平2年)寛平大宝、西暦907年(延喜7年)延喜通宝が造られました。

銅の生産量が減り、乾元大宝の頃には鉛の含有率が高くなっていました。

それから長い年月を経て、西暦1608年(慶長13年)に慶長通宝が、西暦1627年(寛永4年)に寛永通宝が造られました。

その間は日本の貨幣が使用されたという記録はなく、中国の宋銭や元銭、そして明銭などを輸入して使用されました。歴史が解き明かされ、古銭への誇りや苦悩、日本最古の貨幣について生じる様々な議論もあり、時代背景と人の心が伝わってきます。

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